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西アフリカのシエラレオネに出張して
しばらくブログを更新するのを怠けておりましたが、いくつかたまった記事を載せておきます。まずは、2005年3月に3週間西アフリカ・シエラレオネに出張したときの報告をお送りします。
■シエラレオネという国
シエラレオネと聞いて、どこにある国か、わかる方は、かなりのアフリカ通か紛争通の方でしょう。私自身も今回の仕事があるまで、国名は聞いたことがあっても、シエラレオネがどこにあるのか、正確な場所は把握していませんでした。
シエラレオネは、国名こそポルトガル語で「ライオンの山」という意味ですが(シエラレオネにはもうライオンはいないようです)、首都がFreetown(自由の街)と言うように、18世紀末にイギリスからの解放奴隷の居住地として作られた国です。北から北東にかけてはギニア(フランス語圏)に、南東はリベリア(英語圏、アメリカの解放奴隷によって作られた国)に、南西は大西洋に接している西アフリカの国で、北海道くらいの面積に約500万人の人が暮らしています。英語が公用語で、首都では黒人と白人の混血のクレオール人が多く、クレオール語(かなり英語の語彙が多い)が標準語的に国内で広く話されていますが、私達の対象地域であるカンビア県では、民族語であるテムネ語やスス語も話されています。
シエラレオネが世界で有名になったのは、隣国リベリアのテイラー前大統領がシエラレオネのダイヤモンドの利権をねらってシエラレオネの反乱軍を訓練・支援したことをきっかけに、1991年から2002年まで11年間内戦がおこり、200万人以上の人が難民あるいは国内避難民になったこと、そして内戦中に5才以上の多くの子供が誘拐され少年兵・少女兵として従軍させられたこと(子供達は麻薬を打たれて恐怖感を麻痺させられた上で、AK47を持たされたそうで、一時反乱軍の約半数が児童兵だったと言われています)、さらに内戦中に1万人以上の民間人が手足を切断されたという残虐性にあります。
■紛争ダイヤモンドの国
リベリア経由で販売されたシエラレオネ産のダイヤモンドは、一般に「紛争ダイヤモンド」と呼ばれるダイヤモンドのひとつであり、一部はアルカイダに流れ、テロの資金源になったとも報道されています。世界のダイヤモンド取引の20%を占めていると言われる「紛争ダイヤモンド」は、シエラレオネ産以外にもギニア産、アンゴラ産、コンゴ産等があり、不法ダイヤモンドの大半は、レバノン人商人達によってダイヤ貿易の中心地であるベルギーのアントワープかイスラエルのテルアビブに運ばれ、その後、インド、タイ、モーリシャス、米国など世界約30カ国で加工され、先進国の宝石店の店頭に並ぶそうです。2001年の国際会議でダイヤモンドに原産国証明をつけることが決議され、国連も紛争ダイヤモンドの取り扱いを禁止していますが、原産国の偽造や密輸等の抜け道が後を絶たず、実効性についてはかなり疑問視されています。
■資源は豊かなのに・・・
シエラレオネは元々、鉱物資源(ダイヤモンド、金、チタン、ボーキサイト、鉄鉱石等)が豊富で、また気候的にも雨量(年2500〜3000 mm)が多い熱帯性の高温多湿気候で、稲作はじめ、農業に適した国です。田舎を歩いていても、バナナやマンゴが豊富になっているため、飢えはあまりなさそうに感じました。ちなみにヨーロッパ人の間では、世界一の品質といわれるマリファナがタバコよりも安く買えることでも有名だそうです。
海に面しているため、首都のFreetownでは水産物も豊富で、シーフード・レストランでは体長40〜50センチの巨大ロブスターの炭火焼きを1000〜1500円程度で食べることができます。水産物は冷凍されて日本にも輸出されているそうで、かつては日本の遠洋漁業船が沖合で操業していたそうですが、水産資源を乱獲してしまったため、今はあまり来ていないそうです。

フリータウンのレストランで巨大ロブスターを食べる浜ちゃん

オレンジ色のパーム油を多用した現地食
よく、シエラレオネの不幸は隣人(隣国)に恵まれなかったことだと言われています。シエラレオネはじめ、ギニア、リベリア、コートジボワールといった西アフリカの沿岸諸国は、一般に鉱物資源や食料に恵まれているといわれているのですが、どの国も政治的に安定せず、軍事独裁や内戦が絶えません(ダイヤモンドや石油という資源があるために内戦が起って、国民が犠牲を強いられた国は、この他にもアンゴラやナイジェリア等があります)。一方、内陸に入ったブルキナファソやニジェールは、サハラ砂漠の南端に位置しているため、資源が少なく気候的にもきびしいのですが、政治的にはわりと安定しており、住民には住みやすい国のようです。
■内戦の傷跡と目立つ国連・NGO
シエラレオネは、11年間の内戦のため、国内のインフラ(道路、水道、発電所、学校、病院等)はぼろぼろの状態です。首都でさえ毎日夜の1―2時間程度しか電気が来ないので、昼間は発電機を回さないと電気がなくて仕事もできない状況です。首都の省庁に行くと、援助団体から寄贈されたパソコンを何台も見かけますが、役所は発電機を回す予算がないため、パソコンはカバーをかけられてほこりまみれになっており、役人もボケ〜と無為に過ごしている人が目立ちます。私達は教育省でパワーポイントを使ったセミナーを実施しましたが、その際は、パソコンとプロジェクタだけでなく、発電機も持参して、自分で電気を起こしながら、発表しなければなりませんでした。地方に行くと、水道もありませんので、井戸水を自分で汲み上げてシャワーを浴びるという、19世紀のアフリカに戻ったようなアウトドア的生活も体験できます。
このように衛生環境の悪さとマラリアを始めとする熱帯病の宝庫であることから、5才未満の乳幼児死亡率は1000人中284人で、平均寿命は37才(共に2003年のデータ)と、世界で一番保健指標が悪い国になっています。
教育に関していえば、初等教育の粗就学率はまだ男子51%、女子41%と低く(2002年)、2001/2002年から初等教育の無償化を実施して、就学率の向上を図っている段階ですが、内戦でほぼ半数の小学校の校舎が破壊され、現在世界銀行等の資金援助を受けて小学校校舎の修復や新設が行われていますが、マネジメントの問題からか、なかなか進んでいないのが現状です。また、内戦により教育を受けることができなかった成人が多いため、成人識字率が36%(2001年)と低いのも特徴です。ちなみに、私達の対象地域のカンビア県はイスラム教徒が大多数を占めるため、女性の就学率が全国一低いことでも知られています。
シエラレオネの首都Freetownにはベルギー・ブラッセルから週3回直行便が飛んでいます。ベルギーと関係が深いことは上述したダイヤモンドの流通ルートだからだと思われます。なお、ベルギーからの直行便以外にもロンドンからの直行便や3月末から運航が開始されたばかりのニューヨークからの直行便(国連関係者が利用するから?)もあるそうです。Freetownのルンギ空港は市街地からは川向かいにあり、川を渡る橋がありませんので、空港から市街地に行くためには5〜10分ほどかけてヘリコプターで移動することが一般的です。フェリーやホーバークラフトもあるのですが、時間がかかること、お客が集まらないと出発しないこと、到着する港が市街地から離れていることにより、あまり利用されていません。ヘリコプターは25人乗りくらいのロシア製の大型機で、窓がなかったり、シートベルトが締まらなかったりと、あまりメンテナンス状況がよくありません。そのため、私と一緒にシエラレオネに入った日本人女性はヘリコプターをこわがって、帰国時はフェリーを利用されていましたが、かなりの時間がかかったようです。

フリータウンのルンギ空港に着いたら、次はヘリコプターで市内へ

ヘリコプターから見たフリータウンのAberdeen地区

フリータウンの中心地区:坂が多い長崎のような町です
シエラレオネの地方を車で走っていると、UNHCRやUNICEFやNGOの看板がやたらに目につきます(その中には、日本が資金だけ出して、英国DFIDが実施した「日英無償」の看板もあります)。内戦後のシエラレオネの復興のため、数多くの国際機関が巨額の資金を国際NGOに流してプロジェクトを実施してきたため(日本のNGOであるPeace Winds JapanもUNHCR資金で難民キャンプを運営しています)、国民にとっては、ほとんど機能していない政府よりもお金を持っている国際機関やNGOの方がよほど身近な存在になっているというわけです。なお、私達がシエラレオネにいる間、多くの国際NGOから接触があり、国連等による難民救援のプロジェクトが終了しようとしている今、彼らが日本からの新たな資金に期待していることがありありとわかりました。

UNHCR援助のCommunity Empowerment Projectの看板

日英無償で実施されたプロジェクトの看板
■紛争終結国での人間の安全保障案件を促進するJICA
今回、私達は、国際協力機構(JICA)の委託で、「シエラレオネ国カンビア県子供の社会復帰支援」プログラムのプロジェクト形成調査の第一次現地調査に行ってきたわけですが、このプログラムは、JICAの緒方貞子理事長が強力に推進している「人間の安全保障」案件の第2弾といわれています(第1弾はアンゴラ案件で、昨年9月から調査中だそうです)。緒方貞子理事長はUNHCRの長だった頃に、難民救援の仕事が終わった後、開発援助機関がすぐに入って来てくれないことをもどかしく思っておられたそうで、今JICAの長となって、難民救援の後、時期を逃さずに、すばやく開発援助機関であるJICAがプロジェクトを実施していくことを目指しているそうです。緒方理事長はJICAに人間の安全保障と平和構築という新しい援助理念を持ち込まれ、アフリカ重視、現場主義、スピードをいつも強調されているそうです。そのため、シエラレオネとアンゴラ以外にも、アフリカの多くの紛争終結国(エリトリア、チャド、ルワンダ、コンゴ民主共和国、スーダン、ガーナ北部等)に企画調査員やプロジェクト形成調査団が派遣されて、人間の安全保障案件のプロジェクト形成を活発に行っているそうで、今後これら紛争終結国で次々と(?)案件が実施されることになりそうです。
■私達の仕事について
今回の私達の仕事は、今年3月から8月まで、6ヶ月間かけてプロジェクト形成調査(フェーズ1)を実施し、その結果、相手国が要請書を提出し、日本政府が承認すれば、今年10月から3年間の実証事業付きの開発調査(フェーズ2)を実施しようというものです。フェーズ1とフェーズ2は同一のコンサルタントによって実施されるという「一気通貫方式」のため、要請書が無事出てくれば、私達がフェーズ2の実施も担当することになります。なお、シエラレオネの首都Freetownには今年1月にJICAフィールド事務所(各種プロジェクトの実施支援のための臨時事務所という位置づけです)が開設されており、現地の人材(元・赤十字勤務)を事務所常駐のコンサルタントとして雇用し、JICAガーナ事務所でシエラレオネを担当している企画調査員の方がガーナから出張ベースでこのフィールド事務所に頻繁に来ています。私達の現地調査も彼ら2人によるアレンジとサポートがなければとてもうまくいかなかっただろうと思われ、やはり現地事務所の重要性を感じました。
本プログラムは、ドナー各国が緊急的な難民救援から自立的な開発支援へとシエラレオネへの援助方針を変えようとしている時期にまさに実施されるもので、援助漬けだったシエラレオネで、役所や住民を対象にして、自立的な開発を支援していくというきわめてチャレンジングな目標を持っています。シエラレオネを管轄しているJICAガーナ事務所や在ガーナ日本大使館からは、これまで住民集会のたびに参加者(役人や住民)にsitting allowanceが支払われてきたが、どのドナーも交通費や昼食代といった実費以外のsitting allowanceは廃止したいと考えているので、このプログラムでその先例を作ってほしいと頼まれたりしました。つまり、私達の仕事は「JICAには(国際機関やNGOと違って)お金がない」ということをいかに現地の役人やNGOや住民にわかってもらうかにあるようです。
本プログラムは、シエラレオネの未来を担う子供や青年(内戦により教育を受けられなかったものが多く、成人識字率は36%にすぎません)を対象に、教育を通してコミュニティ開発を支援していこうというものです。現地に行く前は、戦争で身も心も傷ついた「暗い子供達」を想像しており、子供達を元気づけることができるような活動(遊びながら学べる、映画会や歌や踊りやスポーツや遠足や学校菜園といった活動)を学校で実施していこうかと考えていました。JICAアフリカ部の部長さんからは出発前に、「本調査では、相手国政府と政策対話や議論ができるコンサルタントよりも、子供と一緒になって遊べるお姉さんのようなコンサルタントを選びました」と言われたくらいです。しかし、実際に現地に行き、小学校を訪ねてみると、明るい子供達の笑顔や歌声に囲まれ、心理的にはかなりほっとしました。なお、15才〜35才の青年達を対象にした職業訓練コースを視察に行った調査団員は、元・児童兵や戦争中にレイプされた少女達にも会ったそうで、目つきが鋭い、暗い顔つきの青年が多かったと話していましたので、本プログラムの対象も、子供よりも青年に重点を置くことが現在検討されています。

カンビア県のコミュニティ・スクール:茅葺き屋根の校舎

青空学級の子供達:子供達の表情は明るい
本プログラムの中身はまだまだ調査途中のため、これから詰めていかなければいけない状況ですが、ポイントは「どうすれば援助終了後も持続可能なコミュニティ開発活動を実現できるか」という点にあります。対象県のカンビア県を訪問すると、これまで持続可能性を考えずにやりっぱなしの援助を行ってきた残骸(使われていない職業訓練所、建設途中で放棄された学校、援助が終わると同時に解散した住民グループ等)についてあちこちで見聞きしました。シエラレオネのような国では、政府が援助終了後に活動を継続してくれるということはほとんど期待できませんので、プログラム自体の中に運営資金を作り出すメカニズムを導入して、援助後も自分達だけで継続していけるように指導をしていく必要がありそうです。
■シエラレオネの日本人
ちなみにシエラレオネに1年以上住んでいる日本人は、UNICEFの方が1名、UNAMSIL(国連シエラレオネ派遣団という軍隊)の方が1名、Peace Winds JapanというNGOの駐在員が2名、カトリック系の学校を運営している日本人のシスターが2名(2人共20年以上シエラレオネで働いておられ、日本の「手を貸す運動」というカトリック系のNGOが支援をしています)、EU副代表(東京水産大学に留学したギリシャ人)の日本人の奥さん、チンパンジーのサンクチュアリーにいる日本人女性と、合計8名のようです。なお、国境なき医師団というNGOから半年間だけ派遣されてきている日本人看護師も地方の病院に1人いるそうです。以前にはダイヤモンドをねらって一山あてに来た日本の山師もいたそうですが、ダイヤモンドをめぐる争いに巻き込まれたのか、殺されてしまったそうです。シエラレオネには日本大使館もJICA事務所もありませんが、インド系3世のビジネスマン(ミネラルウオーターや水道管等を製造販売しています)が日本政府の名誉領事を引き受けています。

ルンサーで職業訓練校の校長をされているシスター根岸
■終わりに
以上が第1次現地調査終了時(2005年3月末)での中間報告ですが、今回の調査の最大の特徴は調査団メンバーに恵まれたことにあり、優秀なメンバーがそれぞれ実力を発揮してくれたため、まとめ役の私は本当に楽をさせていただきました。メンバーからも、「今回の調査団は本当によく食べ、よく笑った調査団だった」と言われ、楽しみながら仕事をすることができました。そのような楽しい調査団だったからこそ、過酷な環境の下でも、皆健康に過ごせて、仕事を全うすることができたように感じております。
日本ではまだほとんど知られていないシエラレオネですが、私達はこの仕事をきっかけにシエラレオネが日本で少しでも知られるようになればと考えておりますので、シエラレオネに関する質問等がありましたら、いつでも遠慮なくお問い合わせください。では、皆様からのご意見や励ましやアイデアを楽しみにしております。
■シエラレオネという国
シエラレオネと聞いて、どこにある国か、わかる方は、かなりのアフリカ通か紛争通の方でしょう。私自身も今回の仕事があるまで、国名は聞いたことがあっても、シエラレオネがどこにあるのか、正確な場所は把握していませんでした。
シエラレオネは、国名こそポルトガル語で「ライオンの山」という意味ですが(シエラレオネにはもうライオンはいないようです)、首都がFreetown(自由の街)と言うように、18世紀末にイギリスからの解放奴隷の居住地として作られた国です。北から北東にかけてはギニア(フランス語圏)に、南東はリベリア(英語圏、アメリカの解放奴隷によって作られた国)に、南西は大西洋に接している西アフリカの国で、北海道くらいの面積に約500万人の人が暮らしています。英語が公用語で、首都では黒人と白人の混血のクレオール人が多く、クレオール語(かなり英語の語彙が多い)が標準語的に国内で広く話されていますが、私達の対象地域であるカンビア県では、民族語であるテムネ語やスス語も話されています。
シエラレオネが世界で有名になったのは、隣国リベリアのテイラー前大統領がシエラレオネのダイヤモンドの利権をねらってシエラレオネの反乱軍を訓練・支援したことをきっかけに、1991年から2002年まで11年間内戦がおこり、200万人以上の人が難民あるいは国内避難民になったこと、そして内戦中に5才以上の多くの子供が誘拐され少年兵・少女兵として従軍させられたこと(子供達は麻薬を打たれて恐怖感を麻痺させられた上で、AK47を持たされたそうで、一時反乱軍の約半数が児童兵だったと言われています)、さらに内戦中に1万人以上の民間人が手足を切断されたという残虐性にあります。
■紛争ダイヤモンドの国
リベリア経由で販売されたシエラレオネ産のダイヤモンドは、一般に「紛争ダイヤモンド」と呼ばれるダイヤモンドのひとつであり、一部はアルカイダに流れ、テロの資金源になったとも報道されています。世界のダイヤモンド取引の20%を占めていると言われる「紛争ダイヤモンド」は、シエラレオネ産以外にもギニア産、アンゴラ産、コンゴ産等があり、不法ダイヤモンドの大半は、レバノン人商人達によってダイヤ貿易の中心地であるベルギーのアントワープかイスラエルのテルアビブに運ばれ、その後、インド、タイ、モーリシャス、米国など世界約30カ国で加工され、先進国の宝石店の店頭に並ぶそうです。2001年の国際会議でダイヤモンドに原産国証明をつけることが決議され、国連も紛争ダイヤモンドの取り扱いを禁止していますが、原産国の偽造や密輸等の抜け道が後を絶たず、実効性についてはかなり疑問視されています。
■資源は豊かなのに・・・
シエラレオネは元々、鉱物資源(ダイヤモンド、金、チタン、ボーキサイト、鉄鉱石等)が豊富で、また気候的にも雨量(年2500〜3000 mm)が多い熱帯性の高温多湿気候で、稲作はじめ、農業に適した国です。田舎を歩いていても、バナナやマンゴが豊富になっているため、飢えはあまりなさそうに感じました。ちなみにヨーロッパ人の間では、世界一の品質といわれるマリファナがタバコよりも安く買えることでも有名だそうです。
海に面しているため、首都のFreetownでは水産物も豊富で、シーフード・レストランでは体長40〜50センチの巨大ロブスターの炭火焼きを1000〜1500円程度で食べることができます。水産物は冷凍されて日本にも輸出されているそうで、かつては日本の遠洋漁業船が沖合で操業していたそうですが、水産資源を乱獲してしまったため、今はあまり来ていないそうです。

フリータウンのレストランで巨大ロブスターを食べる浜ちゃん

オレンジ色のパーム油を多用した現地食
よく、シエラレオネの不幸は隣人(隣国)に恵まれなかったことだと言われています。シエラレオネはじめ、ギニア、リベリア、コートジボワールといった西アフリカの沿岸諸国は、一般に鉱物資源や食料に恵まれているといわれているのですが、どの国も政治的に安定せず、軍事独裁や内戦が絶えません(ダイヤモンドや石油という資源があるために内戦が起って、国民が犠牲を強いられた国は、この他にもアンゴラやナイジェリア等があります)。一方、内陸に入ったブルキナファソやニジェールは、サハラ砂漠の南端に位置しているため、資源が少なく気候的にもきびしいのですが、政治的にはわりと安定しており、住民には住みやすい国のようです。
■内戦の傷跡と目立つ国連・NGO
シエラレオネは、11年間の内戦のため、国内のインフラ(道路、水道、発電所、学校、病院等)はぼろぼろの状態です。首都でさえ毎日夜の1―2時間程度しか電気が来ないので、昼間は発電機を回さないと電気がなくて仕事もできない状況です。首都の省庁に行くと、援助団体から寄贈されたパソコンを何台も見かけますが、役所は発電機を回す予算がないため、パソコンはカバーをかけられてほこりまみれになっており、役人もボケ〜と無為に過ごしている人が目立ちます。私達は教育省でパワーポイントを使ったセミナーを実施しましたが、その際は、パソコンとプロジェクタだけでなく、発電機も持参して、自分で電気を起こしながら、発表しなければなりませんでした。地方に行くと、水道もありませんので、井戸水を自分で汲み上げてシャワーを浴びるという、19世紀のアフリカに戻ったようなアウトドア的生活も体験できます。
このように衛生環境の悪さとマラリアを始めとする熱帯病の宝庫であることから、5才未満の乳幼児死亡率は1000人中284人で、平均寿命は37才(共に2003年のデータ)と、世界で一番保健指標が悪い国になっています。
教育に関していえば、初等教育の粗就学率はまだ男子51%、女子41%と低く(2002年)、2001/2002年から初等教育の無償化を実施して、就学率の向上を図っている段階ですが、内戦でほぼ半数の小学校の校舎が破壊され、現在世界銀行等の資金援助を受けて小学校校舎の修復や新設が行われていますが、マネジメントの問題からか、なかなか進んでいないのが現状です。また、内戦により教育を受けることができなかった成人が多いため、成人識字率が36%(2001年)と低いのも特徴です。ちなみに、私達の対象地域のカンビア県はイスラム教徒が大多数を占めるため、女性の就学率が全国一低いことでも知られています。
シエラレオネの首都Freetownにはベルギー・ブラッセルから週3回直行便が飛んでいます。ベルギーと関係が深いことは上述したダイヤモンドの流通ルートだからだと思われます。なお、ベルギーからの直行便以外にもロンドンからの直行便や3月末から運航が開始されたばかりのニューヨークからの直行便(国連関係者が利用するから?)もあるそうです。Freetownのルンギ空港は市街地からは川向かいにあり、川を渡る橋がありませんので、空港から市街地に行くためには5〜10分ほどかけてヘリコプターで移動することが一般的です。フェリーやホーバークラフトもあるのですが、時間がかかること、お客が集まらないと出発しないこと、到着する港が市街地から離れていることにより、あまり利用されていません。ヘリコプターは25人乗りくらいのロシア製の大型機で、窓がなかったり、シートベルトが締まらなかったりと、あまりメンテナンス状況がよくありません。そのため、私と一緒にシエラレオネに入った日本人女性はヘリコプターをこわがって、帰国時はフェリーを利用されていましたが、かなりの時間がかかったようです。

フリータウンのルンギ空港に着いたら、次はヘリコプターで市内へ

ヘリコプターから見たフリータウンのAberdeen地区

フリータウンの中心地区:坂が多い長崎のような町です
シエラレオネの地方を車で走っていると、UNHCRやUNICEFやNGOの看板がやたらに目につきます(その中には、日本が資金だけ出して、英国DFIDが実施した「日英無償」の看板もあります)。内戦後のシエラレオネの復興のため、数多くの国際機関が巨額の資金を国際NGOに流してプロジェクトを実施してきたため(日本のNGOであるPeace Winds JapanもUNHCR資金で難民キャンプを運営しています)、国民にとっては、ほとんど機能していない政府よりもお金を持っている国際機関やNGOの方がよほど身近な存在になっているというわけです。なお、私達がシエラレオネにいる間、多くの国際NGOから接触があり、国連等による難民救援のプロジェクトが終了しようとしている今、彼らが日本からの新たな資金に期待していることがありありとわかりました。

UNHCR援助のCommunity Empowerment Projectの看板

日英無償で実施されたプロジェクトの看板
■紛争終結国での人間の安全保障案件を促進するJICA
今回、私達は、国際協力機構(JICA)の委託で、「シエラレオネ国カンビア県子供の社会復帰支援」プログラムのプロジェクト形成調査の第一次現地調査に行ってきたわけですが、このプログラムは、JICAの緒方貞子理事長が強力に推進している「人間の安全保障」案件の第2弾といわれています(第1弾はアンゴラ案件で、昨年9月から調査中だそうです)。緒方貞子理事長はUNHCRの長だった頃に、難民救援の仕事が終わった後、開発援助機関がすぐに入って来てくれないことをもどかしく思っておられたそうで、今JICAの長となって、難民救援の後、時期を逃さずに、すばやく開発援助機関であるJICAがプロジェクトを実施していくことを目指しているそうです。緒方理事長はJICAに人間の安全保障と平和構築という新しい援助理念を持ち込まれ、アフリカ重視、現場主義、スピードをいつも強調されているそうです。そのため、シエラレオネとアンゴラ以外にも、アフリカの多くの紛争終結国(エリトリア、チャド、ルワンダ、コンゴ民主共和国、スーダン、ガーナ北部等)に企画調査員やプロジェクト形成調査団が派遣されて、人間の安全保障案件のプロジェクト形成を活発に行っているそうで、今後これら紛争終結国で次々と(?)案件が実施されることになりそうです。
■私達の仕事について
今回の私達の仕事は、今年3月から8月まで、6ヶ月間かけてプロジェクト形成調査(フェーズ1)を実施し、その結果、相手国が要請書を提出し、日本政府が承認すれば、今年10月から3年間の実証事業付きの開発調査(フェーズ2)を実施しようというものです。フェーズ1とフェーズ2は同一のコンサルタントによって実施されるという「一気通貫方式」のため、要請書が無事出てくれば、私達がフェーズ2の実施も担当することになります。なお、シエラレオネの首都Freetownには今年1月にJICAフィールド事務所(各種プロジェクトの実施支援のための臨時事務所という位置づけです)が開設されており、現地の人材(元・赤十字勤務)を事務所常駐のコンサルタントとして雇用し、JICAガーナ事務所でシエラレオネを担当している企画調査員の方がガーナから出張ベースでこのフィールド事務所に頻繁に来ています。私達の現地調査も彼ら2人によるアレンジとサポートがなければとてもうまくいかなかっただろうと思われ、やはり現地事務所の重要性を感じました。
本プログラムは、ドナー各国が緊急的な難民救援から自立的な開発支援へとシエラレオネへの援助方針を変えようとしている時期にまさに実施されるもので、援助漬けだったシエラレオネで、役所や住民を対象にして、自立的な開発を支援していくというきわめてチャレンジングな目標を持っています。シエラレオネを管轄しているJICAガーナ事務所や在ガーナ日本大使館からは、これまで住民集会のたびに参加者(役人や住民)にsitting allowanceが支払われてきたが、どのドナーも交通費や昼食代といった実費以外のsitting allowanceは廃止したいと考えているので、このプログラムでその先例を作ってほしいと頼まれたりしました。つまり、私達の仕事は「JICAには(国際機関やNGOと違って)お金がない」ということをいかに現地の役人やNGOや住民にわかってもらうかにあるようです。
本プログラムは、シエラレオネの未来を担う子供や青年(内戦により教育を受けられなかったものが多く、成人識字率は36%にすぎません)を対象に、教育を通してコミュニティ開発を支援していこうというものです。現地に行く前は、戦争で身も心も傷ついた「暗い子供達」を想像しており、子供達を元気づけることができるような活動(遊びながら学べる、映画会や歌や踊りやスポーツや遠足や学校菜園といった活動)を学校で実施していこうかと考えていました。JICAアフリカ部の部長さんからは出発前に、「本調査では、相手国政府と政策対話や議論ができるコンサルタントよりも、子供と一緒になって遊べるお姉さんのようなコンサルタントを選びました」と言われたくらいです。しかし、実際に現地に行き、小学校を訪ねてみると、明るい子供達の笑顔や歌声に囲まれ、心理的にはかなりほっとしました。なお、15才〜35才の青年達を対象にした職業訓練コースを視察に行った調査団員は、元・児童兵や戦争中にレイプされた少女達にも会ったそうで、目つきが鋭い、暗い顔つきの青年が多かったと話していましたので、本プログラムの対象も、子供よりも青年に重点を置くことが現在検討されています。

カンビア県のコミュニティ・スクール:茅葺き屋根の校舎

青空学級の子供達:子供達の表情は明るい
本プログラムの中身はまだまだ調査途中のため、これから詰めていかなければいけない状況ですが、ポイントは「どうすれば援助終了後も持続可能なコミュニティ開発活動を実現できるか」という点にあります。対象県のカンビア県を訪問すると、これまで持続可能性を考えずにやりっぱなしの援助を行ってきた残骸(使われていない職業訓練所、建設途中で放棄された学校、援助が終わると同時に解散した住民グループ等)についてあちこちで見聞きしました。シエラレオネのような国では、政府が援助終了後に活動を継続してくれるということはほとんど期待できませんので、プログラム自体の中に運営資金を作り出すメカニズムを導入して、援助後も自分達だけで継続していけるように指導をしていく必要がありそうです。
■シエラレオネの日本人
ちなみにシエラレオネに1年以上住んでいる日本人は、UNICEFの方が1名、UNAMSIL(国連シエラレオネ派遣団という軍隊)の方が1名、Peace Winds JapanというNGOの駐在員が2名、カトリック系の学校を運営している日本人のシスターが2名(2人共20年以上シエラレオネで働いておられ、日本の「手を貸す運動」というカトリック系のNGOが支援をしています)、EU副代表(東京水産大学に留学したギリシャ人)の日本人の奥さん、チンパンジーのサンクチュアリーにいる日本人女性と、合計8名のようです。なお、国境なき医師団というNGOから半年間だけ派遣されてきている日本人看護師も地方の病院に1人いるそうです。以前にはダイヤモンドをねらって一山あてに来た日本の山師もいたそうですが、ダイヤモンドをめぐる争いに巻き込まれたのか、殺されてしまったそうです。シエラレオネには日本大使館もJICA事務所もありませんが、インド系3世のビジネスマン(ミネラルウオーターや水道管等を製造販売しています)が日本政府の名誉領事を引き受けています。

ルンサーで職業訓練校の校長をされているシスター根岸
■終わりに
以上が第1次現地調査終了時(2005年3月末)での中間報告ですが、今回の調査の最大の特徴は調査団メンバーに恵まれたことにあり、優秀なメンバーがそれぞれ実力を発揮してくれたため、まとめ役の私は本当に楽をさせていただきました。メンバーからも、「今回の調査団は本当によく食べ、よく笑った調査団だった」と言われ、楽しみながら仕事をすることができました。そのような楽しい調査団だったからこそ、過酷な環境の下でも、皆健康に過ごせて、仕事を全うすることができたように感じております。
日本ではまだほとんど知られていないシエラレオネですが、私達はこの仕事をきっかけにシエラレオネが日本で少しでも知られるようになればと考えておりますので、シエラレオネに関する質問等がありましたら、いつでも遠慮なくお問い合わせください。では、皆様からのご意見や励ましやアイデアを楽しみにしております。
コメント
はじめまして
シエラレオネについて
記事を拝読させていただきました。国を取り巻く状況についてはある程度は把握したつもりだったんですが、実際に現地に降り立ってのレポートでさらに多くの事を知ることができ、感謝しております。ウチのブログにコメントもありがとうございました。ベルギー北部にはダイヤ研磨で有名な街・アントワープがありますし、ブリュッセルから直行便が出ているというのもうなづけます。あと、子供たちもイメージとは違って明るい笑顔を見せているというのにも素晴らしい事ですね。学校の写真は印象的です。少し上の年代になると内戦(諸外国から焚きつけられたのも「内戦」という一言に片付けられているのも問題かと思いますが)のトラウマは残るでしょうけど、乗り越えてもらいたいです。
はじめまして
MIXIの1958年生まれの海外版でお見かけして、思わずブログ見させていただきました。 あまりの感動に感無量です。 モザンピークの子供兵、アフリカのエイズ孤児、流血ウガンダ等大きく取り上げられてる所だけでなく全く知らなかったシエラレネオのような途上地は世界に多すぎる程あるんでしょうね。 胸がつまります。 命をはってのお仕事ありがとうございます。これからもお身体大切に頑張ってください。 これからもよろしくお願いします。
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【#17】「Diamonds(From Sierra Leone)」モハメド・カロンと”蟹江さん”とシエラレオネ
アフリカの国々には国内世界問わず「地理好き」的にかなり興味があります。フットボールに関しては特に。アフリカ人選手は欧州各国の至るリーグで活躍中なのはもう周知の事であります



私の主人はシエラレオネ人です。ヤフーの方でブログを持ってます。
タイトルが息子はハーフ主人はシエラレオネ人というタイトルで
少しだけ、シエラレオネのことも書いてます。
JICAのことは、私のブログを見ていただいたアフリカの方から、教えていただきました。
そして、今回の公開フォーラムに行けることになり、
そこで知り合った方から、このブログを教えていただけました。
私自身は、まだシエラレオネに行ったことがありません。
主人の家族はまだギニアに住んでいます。
私が結婚した年は、まだ危険度4で入国できませんでした。
私で何かできることと思い、ブログにシエラレオネのことを
たくさん詳しく書いていきたいと思っています。
また私で何かできることがあれば、教えてください。
またシエラレオネ人である主人にできことがあれば言って下さい。
ぜひよろしくお願いします。